高浜町事件

「森山は地元同和の大物という話だが何か知っているか?」。「“ 人権(同和)絡み”だから森山はタブー視されてきた」。関西電力の役員が高浜町(福井県大飯郡)の元助役、森山栄治氏(故人)から多額の金品を受けていた問題で、大手メディアの記者やウォッチャーからこんな連絡を受けたのは先週末のこと。森山の住所と高浜町の同和地区を照合すると確かに“ビンゴ ”だから関心を寄せていたのだが…。単純な噂だとは思えない。億単位のカネが動き、関電のような巨大企業が恐れ、役員に金品を提供するという不可解な行為、こんな異常な現象だからこそ根拠と確信を得た。「同和が絡まぬわけがない」。こういう思いを抱いて高浜町に向かった。

部落ネタで女性教師を廃人に追い込む

高浜町と言えば福井県嶺南地方、通称、“原発銀座 ”に位置する自治体だ。と同時に福井県下で最も同和事業が盛んで、森山の自宅がある西三松にしみまつの隣保館「高浜町立三松センター」にはかつて部落解放同盟福井県連合会があった。関西地方に行けば市役所、町役場、公民館に人権標語が掲げられることは珍しくない。ただ北陸地方は同和のイメージが薄い。しかし高浜町は北陸にあってしっかり“同和推し ”をしている。こんな町だ。

それにしても今回の問題に違和感を覚えた人も多かったのでは? 再稼働や拡張工事など地元の理解を得るため電力会社側が有力者に金品を提供するというシナリオならばありえる話だ。しかし地元側から電力会社に金品提供とは前代未聞。なぜこんな事態が起こりえたのか? それは“ 同和のドン ” 森山が解放運動を背景に高浜市、そして関西電力を屈服させてきたからだ。あるいは森山が同和絡みというのは言及されなくても、こんな報道から見て取れる。

10月1日、MBS(毎日放送)によれば関電は森山に原子力担当の幹部職員を対象にした人権教育研修の講師に招いていたと報じた。こうした場合の「人権」とは一般的な「人権」の概念とはかなり異なる。行政・企業にとって「人権」とは「同和」を示す一種の隠語といった存在だ。この点は過去にも指摘してきたが、一応補足しておこう。そして森山の足取りである。

今回は「森山栄治」を含めて、彼を取り巻いた人物は故人が多い。笹沢左保の推理小説『死人狩り』ではないが、物故者の爪痕を探るのも骨が折れる。何しろ森山は享年90歳だからその関係者も当然、高齢者で助役現職時代を知る人は少ない。森山の経歴を見るといくつか興味深いことがある。時系列で紹介する。

1969年12月11日に高浜町に入庁。
1971年に総括課長兼建設課長。
1975年10月11日から1977年3月31日まで収入役。
1977年4月1日から1987年5月31日まで助役。

入庁からわずか二年で課長になった上、「統括課長は森山のために作られた肩書き」(町関係者)。という。それから同和マニアならば直感したかもしれない。奇遇なことに同和対策特別措置法が施行された年に入庁し、その再延長法である「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)が制定された年に退職している。助役を退いた月に疑問を抱いた人もいると思うが、これは裏があるので後の話にしよう。

森山は女性教員を糾弾した過去がある。そもそも彼が解放同盟員だったのか否かも別途で解説をするとして、話を進めよう。それは1975年のことだという。関係者の証言を元に状況をお伝えしたい。高浜小学校に女性教員がいた。教員は町内の美容院にて、美容師と世間話をしている。こんな様子を思い浮かべてほしい。美容師はこう言ったという。

「センセ、最近は同和、同和、とやかましゅうなりましたなあ」

同特法が施行され、同和における「事業と教育」の教育部分が先鋭化され始めた時代である。当然、学校の現場でも同和教育が行われていたことだろう。教員はこんな風に答えたそうだ。

「まあ難しい問題やけども、人が人を差別するなんてあったらアカンからね」

この会話のどこに差別的な要素があるのか分からない。美容院には給食センターの職員(通称、給食のおばさん)がいたが、彼女がこのやり取りを同僚に伝えさらにそこから解放同盟員に伝わった。一か月ほど後、突然教員は授業中にも関わらず学校の宿直室に呼び出された。そこには教育長がいて

「アンタ、差別発言をしたそうやな」

こう詰問してくる。教員は訳が分からず否定するしかなかった。町関係者の当時のメモではこれが1975年11月21日になっていた。

すると翌日、今度は校長室に呼び出され再び問い詰められた。やはり教員はきっぱり反論した。ところが翌日23日、今度は町役場に呼び出しを受けた。今度は教育長、学校長、美容院の客、そしていきり立った森山がいた。客は「先生、すみません、アタシ勘違いやった」と一度は謝罪したという。ところが森山が激しく詰問する。「差別発言はあったんやろ」。おそらくこんな調子だろう。すると女性客の態度は再び変わる。

「差別発言をしていた気がする…」

美容院の店主も「なかった」と証言するが、教員の反論も含めて通らない。差別ありきで事が進む。絵に描いたような糾弾だ。もはや「聞き取り」というよりもいわば「確認会」というべきだろうか。それはまだ続く。11月24日は森山が小学校に乗り込んできた

「教員全員を呼び出し、横並びにさせたんです」(町関係者)

役場の職員や関電を叱責する時も森山はよく「横並び」にさせていたという。そして用意してきたという差別文書を回し読みさせた。そこは女性教員がまるで覚えがない発言が書かれていたという。

「こんなこと言われたらどう思うか。一人一人、言うてみい」

森山はこう恫喝する。同僚たちは誰も擁護してくれない。むしろこんな目に遭うのは女性教諭のせいだ、という視線すら漂う。その圧力に負けたのか。

「心ないことを言ってしまった。申し訳ありません」

泣く泣く謝罪した。その後、女性教員に異変が起きる。黒板のチョークが持てない。手が震え体に力が出ない。そして早期退職をせざるをえなかった。女性教員の体の異変は収まらず岡山の病院にまで通院した。医師は「何かショックなことがあったのか?」と尋ねた。「娘が結婚したことが…」。「そんなことがショックなわけないでしょ」。そんなモヤモヤしたやり取りが続く。やがて女性教員は医師に糾弾を受けたことを語った。医師は全て察し「それだ」とだけ言ったそうだ。

原電通りの旅館街に住んだドンと同盟員

さてこの糾弾は解放同盟の活動というよりも、むしろ森山の私的行為と思えた。おそらく当時を知るであろう数少ない人物が西三松にいる。部落解放同盟福井県連合会高浜支部長の山下敬太郎氏だ。山下はセンターの隣、そして森山の屋敷からも近い。山下に当時のことを聞いてみた。

「誰や、知らん。アホバカ。知らん。しつこいな。関係ないこと聞くな」

今回の関電問題と解放運動はつながっているのではないか。こう聞いた。

「つながっていない。関係ない。あかん」

手に持っていた容器を投げるフリをして家の中に消えた。こんな調子である。また付近の住民であり、自営業を営む同盟員にも話を聞いてみた。「問題を解放運動とつなげると嫌がられるよ。関係ないでしょ。森山さんの評判が悪い? 評価はそれぞれでしょ。地元に利益をもたらそうと頑張っておられたから。この辺にしてくれんか。森山さんは同盟員だったかって? この辺りの人は加盟してる人が多いよ。もうええですか」

助役時代の森山と解放運動についてももっと知りたいが、それ以前に彼は解放同盟員だったのか? そこがどうもはっきりしない。西三松を横切る主要地方道は通称「原電道路」と呼ばれている。高浜原発に続く道路だからだ。朝、夕は作業員たちの送迎バスなどで渋滞を起こす。そして西三松は同和地区であると同時に主に原発労働者を対象にした旅館街でもある。夕時になるとどこからともなく料理のいい香りがしてくる。近くには海が広がっておりオーシャンビューというやつだ。人が避ける地域とは到底思えない。そんな町だ。確実に言えることは西三松は原発労働者によって生計を立てていることだ。

解放同盟は旧社会党系だったことから本来は「原発反対」の立場である。ところが西三松は原発で潤い、そして森山は原電マネーで財を成した。仮に森山氏が解放同盟員だったとして、当時の森山に「解放同盟は原発反対ではないのか」という指摘をできるのは町内誰もいない。というよりもドンはそういう立場を超越している。

「同和のドン」と言えば本誌でも同じタイトルを使用したことがある。奈良県県議で、部落解放同盟奈良県連委員長、地元同和のドン・川口正志氏は自民党に公認願いを出したとお伝えした

川口氏の政治歴と解放同盟の政治主張を考慮すると自民党に公認願いを出すのはおかしい。しかし堂々と公認願いを認めていた。あるいは本誌はもう一人「同和のドン」という人物を取材したことがある。旧八日市市(現・東近江市)の松下修治元市議(故人)だ。この人物の詳細は割愛するが、やはり地元で恐れられた人物。企業の人事、配属先の変更にまで関与できるのだからその権力は大きい。

ただ解放同盟員でもなくまた同和会、いわんや人権連でもない。政治的には保守系の議員だった。松下の存在がクローズアップされたのはこんなトラブルだ。

とある職員同士の言い争い部落差別問題に発展。この職員の片方が松下の子飼いであった。「修治にいうてボロチョンにしてやる」。こう言い放つと、実際に松下が介入してきた。これを恐れた問題に対応していた同市助役が「ワシは糾弾される助役や」と悩み自殺をしてしまうのだ。この助役も松下への恐怖心から最悪の選択をしてしまった。

同和と在日案件 吉田開発社長は元韓国人

おそらく森山もこのタイプに近いのではないか。ある時は解放同盟の存在をちらつかせながら原発行政を牛耳ったと考えれば納得できる。それから森山と解放同盟の関係でもう一つ証言を得たのは「吉田開発」(高浜町関屋)との関係だ。同社はご存知の通り、関電から20億円超の受注をしていた会社だ。同社・吉田彪社長は高浜町の住民ではなく、舞鶴市在住。そして現在は帰化しているが元韓国人だ。こういう証言を紹介しておこう。

「吉田さんは舞鶴の解放同盟員に森山を紹介してもらい、1984年頃に高浜に来た。そこから短期間のうちに吉田開発とゴルフ練習場で大儲けした。それも森山の後ろ盾があってのことだ」

吉田開発の前には吉田社長にインタビューをしようと報道陣が連日、押し寄せている。近隣住民は言う。

「韓国人やったのはこの辺りの人は知っているよ。でも人柄も悪くないし吉田ださんに悪い印象はないなあ。。森山さんは嫌いだけどね。ここ数年はそうでもないんやけど、大雪が積もることがあったから、吉田さんの会社が重機を出して除雪してくれた。様子? うん、感じよかったよ」

そんな吉田社長は会社にも不在、そして舞鶴市の自宅にも不在で、近隣住民によれば「車がないから遠出しているんじゃないか」ということだ。報道陣から雲隠れしているのだろう。

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