史跡探訪 川越城(埼玉県川越市)2017年9月3日

川越城は、平山城というが、所謂「館」である。

江戸時代、現埼玉県はほとんどが、幕府の直轄地となり、岩槻、忍(熊谷)、川越に城があったとされる。

鎌倉~室町時代の城とされるところはことごとく廃城となった。その点、川越藩は異質で、幕府の譜代大名や親藩がおさめた所であった。

川越は、後北条氏が関東を治めるための鍵となった「河越城の戦い(1524)」がったことや、天海僧正の喜多院があったこと等から、土地柄、地政学的に要所と徳川幕府の要所とされたのだろうか。

今は、城の堀が埋められて、城郭がみとめられず、川越高校や野球場などの施設が境なくあることから、城としての趣はない。

ただ、建物自体は1848年に建てられたものであることから建物としての趣はあるが、残されたものは小さいと感じた。

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