Perfect days

ルーティーンが「自由」を与えてくれる

──平山のような人は、資本主義社会においてスポットライトが当たりにくい存在だと思います。もちろん、質素ながら充実した暮らしを送っている人たちがいることは多くの人が認識していると思いますが、それでもいまはみんな経済的に余裕がないし、アッパーな人たちに目が行きがち。私はこの映画を観て、「彼のように生きたい」と強く感じました。ただ、それができない。彼の人生を描写することはすなわち、この時代に対する批評になると感じたのですが、いかがでしょうか?

ヴェンダース

あなたはいま、「こんな風に生きてみたい」と言いましたよね。同時に、「こんな風に生きることはできない」ということにも気付いた。これは重要なステップです。そこから、彼の在り方に一歩近づきました。私たちの人生は「なにが必要か」ではなく「なにに満足するか」ということによって定義されているのです。私は、平山がなにに満足しているのかをこの映画の中で明らかにしていません。だからこそ、観る者に感動を与えるのだと思います。これが必要だと社会に信じ込まされているものよりも、本当に自分を満足させてくれるものについて考えるべきです。たとえば、私たちは、成長することでしか満足できないと思い込まされていますが、本当は逆で、成長することでより不満を感じるようになっているのかもしれない。

─そのことに気付いたのはいつ頃でしたか?

ヴェンダース 十分に歳をとってから、ですね。役所(広司)さんの力で平山がまるで実在する人物のように見えますが、おそらくこんな人はなかなか見つけられないでしょう。彼は私たちが憧れる存在です。それゆえ、私たちにもなりうるもの、あるいはなろうとしているものを思い出させてくれる、素晴らしいキャラクターなのです。彼には日課があって、そのなかで多くの自由を満喫しています。

──私たちはどこか、ルーティンを退屈なものとして否定的に捉えがちです。

ヴェンダース

そうなんです。でも実は、ルーティンはある種の構造を与えてくれます。そして、その構造の中にこそ、本当の自由を見出すことができる。自分自身を解放してくれるスペースが生まれる。だから、日課を重荷としてではなく、自分を助けてくれる構造として理解するならば、多くの人がもっと人生を楽しむことができるのではないでしょうか。

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