高校情報科の現実

今回も引き続き「教育IT」について述べていく。前回は、国際的に高い教育水準を保ちながらも、メディアやネットなどで常に監視されているようながんじがらめの状況にある教育現場の実状について述べた。今回は、筆者が非常に大きな日本の課題の1つを考えている高校の教科としての「情報科」を取り上げる。

15年以上前に始まった「情報」の必修化

いろいろな人々に、「高校には英語や数学と同じように『情報科』という教科がある」という話をすると、「情報なんて学校で教えているの?」「情報で何を教えているの?」というような質問をされることが多い。また、「最近よく聞くプログラミング教育だね」という回答をされる方もその次ぐらいに見られる。その他にもあるが、多くは学校における情報教育の理解レベルと反応はこのどちらかだろう。

前者の回答は「教えているの?」という逆質問であり、「情報科」の存在自体を全く知らないといえる。後者、一見それなりに「情報科」の存在を知っているような回答だが、実は両パターンとも、実際の高校における「情報科」の内容とはかけ離れている。情報科は2003年に新設された教科で、高校では必修科目になっていて、学校における情報科の教育というものは昨日今日に始まったものではない。また、2020年から実施されるプログラミング教育とも直接的には関係しない。意外なことに「情報科」というのは、今から15年以上も前に高校で必修になっていた教科なのだ。

正直に言うと、この事実を聞いて腰を抜かすほど驚いたのが他ならぬ筆者だ。その驚きの体験は今から約6年前のことだった。2013年6月、現在の第2次安倍政権の発足直後、政府が発表した教育振興基本方針において、2019年度までに小中高校など教育機関におけるIT環境の整備が発表された。この発表で政府が今後目指していく方向性を示し、その実現のための教育ITの積極的な導入が国家戦略の柱の1つとされた。

一般的に日本の教育といえば、黒板とチョークに教科書とノートという手書き文化が中心であり、ITの導入や活用から最も離れている分野だったと言ってよいだろう。この発表は、そのような教育分野へのIT導入が積極的に行われきっかけになった。そして、その際に筆者は初めて気づいた。高校ではその発表の10年前から「情報科」という必修科目が存在していたという衝撃的な事実である。筆者は情報産業と呼ばれる分野で働いていることもあり、大学や大学院、高等専門学校などでソフトウェアサイエンスのような教育が成されているのは当然知っていた。しかし、普通科の高校で「情報」という分野が教えられていることにとても驚き、これ以後、筆者が関心を持つテーマの「教育IT」が加わり、いろいろと定期的に情報収集するようになったのだ。

情報科の先生になかなか出会えない意外な理由

「情報科の先生に会ったことはありますか?」――この質問に、ほとんど人は「NO」と答えるだろう。もちろん「知り合いに高校の先生なんていない」という人もいらっしゃるだろう。しかし、複数の高校の先生に知り合いが居る人でも「情報科の先生だけは知らない」ということも少なくない。ここが、高校における情報科の現実の核心に迫る部分だ。

それは、本当に「情報科の先生は皆さんの周りにも高校にもほとんどいない」という事実だ。必修化し一定数の情報科の先生が存在するものの本当に「存在するのに会えない」のだ。まるでなぞなぞやとんち話のようだが、もちろんそうではない。

そもそも、情報科が必修といっても、その授業数(または単位数)は英語や数学などに比べるとそれほど多くはない。少ないがために、大きな私立学校などを除けば、一般的な高校(公立高校の大部分)の規模では、「情報科の専任」を配置するのが難しいのだ。そのため、ほかの科目の教師が兼務するか、非常勤の講師として情報科専任の教師が複数校を掛け持ちすることになる。

つまり、情報科を教える教師の絶対数が少ない上に、他科目の教師が兼務することも多いため自ら情報科が専門だと名乗る教師は少ない。だから、高校に行っても情報科の教師をあまり見かけないのだ。

高校の「情報科」教育の現実

もちろん、「情報科」の教師がいないといっても、必修科目の授業をしないわけにはいかない。それを解決すべく「免許外教科担任」という制度が多用されているという。

この制度は、ある教科を指導する担当者がいない場合に、学校長からの申請に基づいて、1年限定で教師が別の教科を担任できる仕組みだ。便利な解決策に見えるが、実態は情報処理を含む「商業科」の教師や、理科や数学などの教師が「理系だから」という理由だけで依頼され、仕方なく情報を教えるという状況が散見されるらしい。このように情報科の教師には、専任のほかにも「他教科との兼務」「免許外教科担任」がおり、文部科学省の調査によると下図のような割合になるという。

これは、あくまで教員免許の有無と、専任か他教科との兼務かの数値だけなので、先述した専任の教師が複数校を掛け持ちする実態は加味されていない。そのため、実際の学校の情報科の先生の現状と微妙に違う可能性があるが、知り合いの都内の私立高校の教務部長の先生に確認したところ、その先生の感覚に非常に近いという。そして、さらに問題が根深いのは、「免許外教科担任」以外の情報科の先生のほとんどは、情報工学などを学んだプログラミング言語やシステムプラットフォーム環境を熟知するエキスパートではないということだ。

2003年に高校で情報科の必修が始まった際、教科担任が不在ということで、幾つもの特例処置ができたという。その一つに、15日間の講習を受けた約1万4000人に免許を発行するという仕組みがあった。この講習を受けた人々が、それだけで情報科の免許を持つ正規の教師となった。

しかし、たった15日間の講習で「情報」という広範で複雑な内容を指導するために必要な知識や技術を習得するのは非常に厳しい。情報の知識には、アルゴリズムのような原理的なものから、動作するためのシステムプラットフォームの設定・構築やその構造の理解、アプリケーションを作るための各種プログラミング言語まで、知識の範囲は多岐にわたる。それらを体系的に学ばなければ、誰かに教えるレベルに到達することは難しいだろう。

先述の「情報科の必修化」のタイミングで、非常に少ない講習だけで正規免許を取得した情報科の先生は1万4000人も居る。その中には豊富な知識を持っている人が皆無という訳ではないし、実際に何名かは存じ上げているが、その数は非常に少ない。そのような情報科の先生に出会える生徒というのは、宝くじに当たるような確率でしか居ないだろう。個人的な感想を述べると、日本の政府も「良く言うとドラスティック、そうでない言い方をするとかなり乱暴な教育改革(の制度設計)」をしたものだと強く感じる。

さて、そこから15年以上が経過した現在(2019年)はどうなったのだろうか。新教科が授業として採用された当時は先述のような状況だったが、15年の間に大学で正規の教育を受けた学生が続々と情報科の教員免許を取得したことで抜本的に改善された――と言いたいところだが、現実はそう甘いものではないらしい。

一部のアンケートによると、高校の情報科の授業でプログラミング教育を実践できたケースは20%程度だという。兼務などで情報に関する体系的な知識を学べていない先生では、とてもプログラミングのような実技にまで対応できないというのが現実なのだろう。また、情報科を本気で学ぼうとすれば、設備(ITシステム)やライセンスなどの環境整備も必要になり、そこにはそれなりの規模の予算が要る。先述のように情報科の授業数が少ない中で、全ての学校が高いレベルの情報科教育を実現する設備を持つことは、経営上厳しいと言わざるを得ないだろう。

そして多くの公立高校では、そもそも授業数が少ない情報科の専任教師の採用枠自体が少ないか、場合によっては採用自体がないそうだ。その結果、必修化から12年ほどが過ぎた2015年時点でも情報科の専任教師は20%程度にとどまったという。つまり、15年以上が経過した現在も2003年当時と状況は大きくは変わらなかったのだ。

筆者の知人で情報工学系の大学教授は、この状況を「高校が『情報』の教育から全力で逃げ続けたツケを大学が払い続けている」と評したのを聞いたことがある。これを“言い得て妙”と言うのは、高校の情報科の先生や関係者に失礼だろうか。しかし、その先生にとっては、実際にその大学に入学してくる生徒の身に起きた現実であり、少なくとも、高校で一定レベルの情報科の知識を得られなかった学生たちにと向き合っている当事者の貴重な意見だと言える。

これが、高校での必修化から関係者も目を背け続けた15年以上にわたる「情報科の現実」であり、みなさんのオフィスやお住まいの近所にある高校でも普通に起きている現実である。そして、この問題で最も重要な点は、問題の原因が先生の怠慢でも学校運営の不備でもないことだ。国が先走り気味で開始した情報科の必修化とその指導者育成におけるビジョンの不透明さ、設備投資予算の絶対的な不足、たった1人の専任者も置けない中途半端な授業数など、そもそもの制度設計に大きな原因がある。

ここまでで、読者の皆さんにも「教育IT」の現実に「闇」のような部分が少なからず潜んでいることをご理解いただけたのではないだろうか。

また、前回の記事では、経済協力開発機構(OECD)の「学習到達度調査(PISA)」において日本の教育は高い水準を維持しながらも、2015年の読解力のみ急激に低下し、その一因として2015年に始まったコンピューターを使った試験(CBT)の存在を指摘した。つまりこれが、CBTを行っただけでPISAのスコアや順位を下げてしまう日本の情報教育の実態なのだ。21世紀が始まったその昔、「情報立国」やら「e-Japan構想」などと美辞麗句を飾り立てていた政治家や官僚はこの現実をどう受け止めているのだろう。

ただ、大学入試センター試験に代わって2022年に導入される「大学入学共通テスト」では受験科目に情報科目が採用されるなどの前向きなニュースもあり、政府も多少本腰を入れ始めたように思われる。それでも情報科の「闇」の部分がすぐに払しょくされる可能性はそれほど多くは無い。15年以上も看過され続けてきたこの問題の根はとても深く、一朝一夕には解決できなくなってしまったからだ。それでも、既にこの世界において情報は経済や生活に欠かすことのできない重要インフラになっている。将来の日本と国民が幸せになるために、決して放置することはできない重要な問題だ。

次回は、本記事でも触れたように2020年に実施が予定されている「小学生向けのプログラミング教育」や、2013年頃に一部で騒がれた小中高校の「教育ITの導入ブーム」などについて述べていきたい。

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